【副業】子育て世代こそプライベートでビジネスをするべきだという話。
ブログを始めて「プライベートでもビジネスは出来る」という感覚が芽生えてきました。
まあ、まだビジネスには出来ていませんが。
少なくともいろんな稼ぎ方をしている人を知る事は出来たのだけれどね。
今回は「子供のために親がビジネスをする意味」について考えていくよー。
親が子供のために出来る事
親が子供のために出来る事というのは大きく分けて二つある。
一つが「マインドセットの醸成」
有名どころは成長型マインドセットという「いずれ自分は出来る様になるし、変わっていける」という考え方だけれど。
子供の価値観を作り上げるサポートは親に出来る事の一つなんだよね。
そして二つめが「環境の整備」
人の価値観や能力は周囲の環境に大きな影響を受けるので、より良い環境を整える事も親が子供に出来る事だったりします。
「親がビジネスをする」という意味
先に「親が子供のために出来る事」を紹介しましたが、どちらの項目についても「親がビジネスをする」という事は子供にとって大きな意味を持つ、と私は考えてます。
何故なら「子供に多様な生き方を示す機会になるから」
例え話で自分の事を書きますが、私の両親や周りにいた大人は工場勤務や現場仕事に就いている人が多くて、私も高校までは「自分も将来は○○の工場で働いて〜」とか考えてました。
ひょんなことから大学進学しましたが、周りの友達も親世代の働き方や生き方を参考にサラリーマンで生きて行く人生設計を考えていた様にも思います。
もしも。
- ビジネスは自分の手で出来るもの。
- 元手を掛けずに学生でも出来るマネタイズがある。
- 学生からでも十分に出来るビジネスがある。
という事を認識していたら違う生き方もあったのかもしれません。
子供は大人と比べると好奇心が旺盛です。
親の加護もあるし一般的には「社会に出る前」として扱って貰えるので失敗しても次のスタートラインにスムーズに着く事も出来ます。
要は「失敗リスク」を考慮する必要性が低い立場とも言えます。
ただ、どんなチャレンジをしようにも「認識していない」選択肢にチャレンジする事は出来ません。
だから、親が多様な働き方を示して「選択肢はたくさんある」という事実を子供が認識出来る環境を作る事には大きな意味があると思います。
もしも。
学生の間にビジネスで稼げたら、サラリーマンになっても「最悪、自分で稼げばいいや」と保険が作れる。
もしも。
学生のうちに毎月2〜3万円を稼ぎだす仕組みが作れたら、奨学金を借りても返済に苦慮しなくても済む。
とか。
ぶっとんだ理想までいかなくても大きなアドバンテージを持つことも出来るでしょう。
ウォーレンバフェットの「スノーボール理論」的なお話しですが。
小さな積み重ねが後に大きな価値やアドバンテージに繋がるからこそ、一早く子供に「選択肢を示す」事には大きな価値があるのではないでしょうか?
ストレス対策にもなる。
「ネガティブな完璧主義」という考え方を知ってますか?
「完璧に、ミスなくしなければ次はない」という様な考え方なのだけれど。
「正解以外は許されない」というマインドセットがあると、挑戦が出来なくなるし「失敗に繋がる要素」を極度に恐れる様になります。
多くの人は「失敗したら即死」みたいな環境で焦りも不安もなく、冷静に対処は出来ないですよね?
現代社会では
- サラリーマンしか稼ぐ道がない。
- 転職は30歳まで。
- ジョブホッパーは会社に敬遠される。
という価値観がまだまだ強い。
「会社にいないと生きていけない」価値観と言い換えられれかもしれません。
結果、度を超えて会社に生活を捧げる人もいれば、「会社で生きていけないから」という理由で命を断つ人もいる。
もしも、生き方はサラリーマン以外にもあって「会社に頼れなくても生きていく道はある」と子供が実感しているならば。
仕事での失敗も数多ある失敗の一つとして必要以上に重たく捉えなくて済むのではないか、とも思うんです。
生き方の柔軟性も。
失敗の許容力も。
子供が自ら獲得していくものではあるのですが、まずは「選択肢はたくさんある」というきっかけくらいは親の手でプレゼント出来るんじゃないかと思うのです。
窮地に陥ってから「生き方はたくさんある」と言われても、響かない。
だから響くうちに道を示す事が大切なんじゃないかな、と。
子供のために柔軟に生きよう。
まとめると「子供は周囲の環境に影響を受ける」
価値観も。
今後、とっていく選択肢も。
だから親は子供のために「柔軟に生きていける」「正解はいくつもある」と示す事が出来る生き方をすべきだ、というのが私の見解です。
この記事を読んで頂いた子育て世代の方がいるのなら、どうでしょうか?
自分の歩んできた道。
周りの知り合い。
世の中の人達。
見比べてみて、今やるべきはなんでしょうか?
今回の記事は最後にそんな問い掛けを投げて終わります。
何かのきっかけになれば良いなー、と思いながら。