田舎移住に失敗しまして。~田舎に来たけど都会に帰ります~

田舎移住に失敗した人の雑記ブログです。Twitterはプロフから!

【終身雇用】終身雇用から考える「入社後3年は同じ会社にいるべき」という価値観の意味。

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会社に入ったら「3年は続けるべき」という価値観が世の中にはあるよね。

 


今回は「何故、3年は続けるべき」という価値観が世の中にあるのかを「雇用の現状」から考えていくよー。

 


結論「終身雇用」の考え方が多数派だから。

一社で経歴を積む事が重要視される理由を端的に述べるなら、まだまだ「終身雇用が世の中で一般的な価値観だから」だと考えます。

 

 

 

まずは価値観のベースとして「終身雇用」について考えていくよ。

 


終身雇用って何?

実は日本の終身雇用って意外と歴史が浅いんです。

 


原型は戦前から戦中に出来てきて、広まったのは戦後です。

 


もともと日本って労働者の流動性が結構あったんですよね。

 


だからスキルを身につけた人達はどんどんと転職してました。

 


そこで、困るのが会社。

せっかく労力を掛けて戦力を育てて、頭数を揃えても他の会社に移られるのではたまったもんじゃない。

 

 

 

更に高度経済成長期には会社の経済活動を支えるために多くの労働力を確保する必要が増していきます。

 

 

 

そんな中で人を繋ぎとめるために会社が始めたのが「定期昇給」や「退職金」を盛り込んだ「長期雇用の促進」だったんだ。

 


結果、国の後押しもあって今では「長く同じ会社に勤めるべき」という価値観が形成されたんだよね。

 

 

 

つまり「終身雇用」は「長年働いてほしい」というのは会社の都合から始まっている。

 


でも、世の中の多くの会社で「終身雇用」が制度化されたので現在では「長期で働いてくれる人」が当たり前の様に増えた。

 


結果「長期で働いてくれる」という期待が一般化して「社歴の長さ」が評価される世の中になったと推測するよ。

 


今は「現実と価値観が乖離し始めた」過渡期。

最近は「終身雇用の崩壊」だとか言われて「労働を流動化すべき」なんて考え方も広がってきたよね。

 


先に述べたとおりで「長期雇用は会社の都合から生まれた価値観」なんです。

 


しかし、現代では世の中の変化の速さや技術革新で「長期で働く」事自体が保証されなくなってきました。

 


長く働く大前提は「会社が長期で働く場である事」なのだけれど。

 


自動化や事業の変化で、この先必要になる人員が不明確になってきて。

 


更には会社の存続自体も怪しくなってきていると言われます。

 


現実的には労働者側からは危なくなってきたら「転職出来る事」がリスクヘッジになるけれど、世の中の価値観はまだ「長期雇用」を前提としている。

 


結果「転職は当たり前」と言いながら「長期雇用を前提とする求人が多い」ので、二つの価値観が乖離してきているのが現代社会だと思います。

 

 

これからの転職は何を気にしたらいいの?

そんな「過渡期」にあたる時代で「どんな転職をしたらいいのか?」

 


個人の見解ですが「長期でいる事も視野に入れながら、自分の市場価値をあげられる仕事」が理想型だと思います。

 


何故なら、まだ「転職は当たり前」と言えるほどに世間の価値観が変化し切っていないから。

 

確かに今、上向きの業界を渡り歩けば先行者利益を取れる可能性はあります。

 

 

現段階だと大手の安定した会社ほど「長期で働いてくれる事」を期待して採用者を決めています。

 


だから「スキルや市場価値を求めて」転職を前提とする仕事選びをするには、まだリスクがある世の中なのだと感じています。

 

 

 

ならば「長期でいてもキャリアを築けて、辞めようと思えば辞められる状態」が一番リスクの少ない選択だと私は思います。

 

 

 

今すべきことは何?

先が見えない世の中で今すべき事は「キャリアの棚卸し」だと私は思います。

 

 

 

要は他の会社で転用出来る武器を普段から持って「現職で磨いて増やす」のが誰にでも出来る第一歩かな、と思うのです。

 


この先の雇用が保証されない。

いつ今の会社から放り出されるかわからない。

 


でも、まだしばらくは現職に留まれるし、この先も留まれるかもしれない、という状況。

 

 

 

ならば、まだ今の会社にいる事も出来る状況で「いつでも次に行けるステータスを身につける」のが良いかと思います。

 

 

 

まだ、しばらくは社歴も選考要素になる事が予想出来るので社歴というステータスを積み上げながら、次の武器を磨くのが良いのかと思います。

 

 

 

 


とまあ、最近転職活動でベンチャーも大手も受けた感想を踏まえてまとめてみました。

 


正直な感想を述べると「大手」と「安定業界」の会社はやっぱり社歴に言及してきた感じはあります。

 

 

 

ベンチャーは聞いては来るけど掘り下げは浅かった印象でした。

 

 

 

会社や業界にもよるのでしょうが感じた事を素直にまとめてみましたよー。

【歴史】今となっては当たり前の「株式会社」を大航海時代に遡って見てみる。

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こんなツイートをしまして。


リプをもらえて嬉しかったので記事にしてみました。

 


社会人の方はどんな組織で働いていますか?

 

 

 

ほとんどの人は「株式会社」で働いているのではないでしょうか?

 


今更、当たり前の様にありふれている株式会社の成り立ちや仕組みをざっくりとまとめるよー。

 

 

 

時は大航海時代に遡る。

そもそものお話として「何で会社ってあるんだろう」というお話をしますね。

 

 

 

主に「経営面の都合」です。

 


ずーっと歴史を遡ると。

物々交換の時代から「個人対個人」での商売が始まります。

 


でも個人対個人だとお互いに持っているものしか交換が出来ないんですよ。

 


貨幣社会でも「個人の資本」が取引で使える一つの上限値になります。

 


そこで商人達は寄り集まって組織を作ります。

 


みんなで持ち寄った資本で取引が出来る様になり、取引規模が拡大します。

 


規模の力で儲けの上限値も上がりました。

 

 

 

それでも商人達は更に儲けたいと思います。

 


儲けるためにはどうするか?

 

 

 

「資本」を集めて「経営に向いた人」に儲けて貰えば良いのです。

 


経営能力が高くても十分な資本がない人もいたわけです。

 


てなわけで、「資本」をいろいろな人から集めて「経営者」に任せて儲けてもらう初期の会社の仕組みが出来ました。

 

 

 

でも、まだまだ儲けたいと思います。

まだまだ仕組みには問題がありました。

 


それは「個人の責任が大きい」事と「出資する側にもそれなりの資本が必要」という事です。

 


株式会社の原型は大航海時代あたりに出来ます。

 


香辛料や金等、儲けのタネになるものが海の向こうにある。

 


でも、それらを手に入れるためには莫大な資金と危険を冒して海へ繰り出さなければならない。

 


多くの人にとっては現実的な選択肢ではないんですよ。

 


一方で一獲千金を狙って海に繰り出したい。

でもお金がない、という人もいました。

 

 

 

利害一致。

 

 

 

海に繰り出したい人に出資して儲けを期待する仕組みが出来上がります。

 


この時により多くのお金を集めるために都合が良かったのが「少額資本の収集」と「責任の分離」です。

 


たとえば日本人全員から1円ずつ貰えば億を超える様に「小さい資本」でも集めたらそれなりに大きな金額になりますよね。

 


みんなが1円ずつ持っているよりも集めて1億円にして活用した方が利益も出しやすいんですよ。

 

 

 

だから「小さな額」でも出資出来る様な仕組みが出来ました。

 


そして、出資者を募るのに有効なもう一つの要素が「リスクの最小化」

 


例えば、航海が失敗して莫大な負債が発生したとして。

出資者にも債権者から「金返せ!」と莫大な請求が来るのではリスクが大きくて出資者は集まりません。

 

 

 

だから「責任を限定する」形になりました。

最初に出資した額を限度とする「有限責任」と債権者から直接に請求を食らわない「間接責任」

 


という考え方が出来ました。

 


要は「経営が破綻しても出資したお金が返ってこない」という形で出資者は責任を取ります。

 


債権者は会社にしか責任追求が出来ないし、出資者は会社に出資した限度でしか責任がないんですよね。

 


この「間接的」で「有限な」責任の下に出資した会社の持ち主達が「株主」です。

 

 

 

イメージは会社がマンションで株主の持つ権利である「株式」がマンションの一室。

 


大きな会社の持分をいろんな人が持っているイメージです。

 

 

 

起業経験者が「失敗したら0になるだけ」と言う理由はあくまでも「会社」と「個人」は責任が分離しているから、です。

 

 

 

自宅や自分の財産を借り入れの担保にしなければ、株式会社を破産させても自分の財産は守られます。

 


出資額がパァになるだけです。

 

 

 

とまあ、こんな感じで「資本を準備する人」と「経営をする人」を分けて限られたリソースをフル活用しようとしたのが「株式会社」的な組織の成り立ちです。

 

 

 

ちなみにジョブズのイメージか強いアップルでさえジョブズは6代目CEOで初代はマイケル・スコットです。

 

 

 

適材適所、という事で役割分担をして生産性を最大化する仕組みなわけです。

 

 

 

社員と従業員の違い。

おまけの小話。

社員と従業員って実は意味合いが全く違います。

 


法律的には社員は会社の構成員を指します。

例えば株主とかね。

 


で、従業員は雇用されている人です。

 


言い方を変えると

社員=会社の持ち主。オーナー。

従業員=労働力を会社に買われている人。

 


ね?かなり意味合いが違うんですよ。

 

 

 

まあ、日常生活で使い分ける必要はないんですが。

 


最後に。

本当にざっくりと。

ニュアンスで伝わる様に記事にしたので正確ではない部分も多々あります。

 

成立時期とか詳細な流れとか。


「株式会社」自体も日本の制度と呼び方なので各国で制度も呼び名も違います。

 


まあ、大きな流れでは合ってるかと思います。

詳しく書きすぎると固すぎてつまらないし。

 


もし反響があれば「終身雇用ってなんなの?」とか「会社の上場と公開ってなんか違うの?」とか。

 


借金で身ぐるみ剥がされるパターンとか。


子供が親をクビにする方法(親権的な意味で)とか。

 


ざっくりとでよろしければまとめてみようかなー、と思ったりはします。

 

【考え方】可能性を広げるために「具体化」と「限定」を区別しよう。

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こんなツイートを致しまして。



「目標達成のためには具体化が必要」とよく言われます。

 


ビジネス本でも。

WEBのノウハウ記事でも。

 


会社の教育でも言われましたし、何ならコンサルからも言われた事があります。

 


確かに「ものごとを実現する」ためには具体化は重要な工程です。

 


ただ具体化して考える時に気をつけたいことがあります。

 


「具体化」と「限定」はまるっきり別、という考え方です。

 


今回は「将来の可能性を広げる」ためにオススメする「具体化」と「限定」の区別についてまとめていくよー。

 

 

 

具体化と限定の違いって?

一言で言えば「複数の選択肢を考慮するか」の違いです。

 

 

 

例えば「年収1,000万円を稼ぎたい」と、目標を立てたとして。

 


具体化の考え方は

・稼げる業界に行く。

株式投資をする。

・副業ビジネスをする。

 


とか、目標達成のためにどの様な手段やプロセスがあるかを詰めていく考え方です。

 


結果として「稼げる業界に行く」という選択をしても他の選択肢も並行でやっていけばいいんです。

 


一方で限定の考え方は「年収1,000万円になるには稼げる業界に行くしかない」と選択肢を制限する考え方です。

 


限定の考え方を取ると「成功するには転職を成功させるしかない」という状況になるので、他の選択肢がなくなります。

 


結果として、目の前のチャンスに気がつけないし、一つに決めた選択肢で失敗が出来なくなります。

 

 

 

すると「失敗出来ない恐れ」から行動が出来なくなって現状が変えられない、という事態に陥ります。

 

 

 

何を当たり前の事を……。

とりあえず「具体化」と「限定」の違いについて述べましたが。

 

「何を当たり前の事を……」と感じた人もいるでしょう。

 

そうなんです。

当たり前の事なんです。

 


にも関わらず「選択肢を限定している」事に気がつけない場面って結構あるんですよ。

 

 

 

労働環境を変えるには転職しかない。

とか。

豊かに暮らすには地方移住だ!

とか。

 


自由になるならフリーランスしかない。

とか。

 

 

 

良い学歴で良い会社に入るしかお金持ちにはなれない。

 


とか。

 


確かに目標達成の一つの手段にはなるんでしょうけれど。

 


本当に道は一つでしょうか?

 


労働環境を変えたい目的はなんでしょう?

「今の職場がしんどいから、抜け出したい」だったとすれば。

 


しんどくならない受け止め方は出来ないでしょうか?

 

 

 

良い大学を出て、良い会社で出世しないとお金持ちにはなれませんか?

 


そんな事はないですよね。

 

 

 

一手段として取り組んでいくのは良い事です。

ですが、失敗した時や目論見を外した時の保険としてでも「他の選択肢」を残しておくべきだと私は思います。

 

 

 

しんどい時ほど視野は狭くなるので、たまに「自分の考えを制限していないかな?」と考えてみる事をオススメします。

 


私の場合

最後にサンプル例として私の反省を書いていきます。

 


ブログタイトルにもある様に「田舎移住に失敗した」人間です。

 


田舎には永住しません。

 


田舎に来た時、まさに私は限定的な考えに陥っていました。

 


思考プロセスはこんな感じ。

 


都会で激務がしんどい。

都会の仕事は競争が激しいから激務になる。

田舎にはのんびりした暮らしがあるはず。

激務から逃れるためには地方移住しかない!

 


結論を述べれば「田舎でも激務はある」のです。

 

 

 

同業で都会から田舎に来て感じましたが、「仕事が辛い」「忙しい」というのは仕事の内容や業界によるところが非常に大きいです。

 


田舎に来ようが忙しい仕事は忙しいし、人間関係が悪い職場だってあります。

 


逆に都会でも働きやすい職場もあります。

 


私の反省は「田舎移住以外の選択肢を捨てた事」です。

 

 

 

だからこそ、悩んだ時やしんどい時ほど。

「選択肢を狭めずに考えて欲しい」とおもうのです。

 

 

 

とまあ、自分の体験も踏まえて記事にしてみましたが大抵の場合は「何とかなる」ので気楽に「他の道もある」と思う事をオススメしますよー。

【地方移住】都会から田舎に移住する時に覚悟すべき車社会のあれこれ。

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都会から地方に引っ越す時に高確率で出てくるのが「車を持つかどうか」問題。

 


都会から地方に来て車も購入した立場から「車社会で覚悟すべき諸問題」についてまとめるよー。

 


地方である程、車は必要になる。

まずは前提条件として「地方暮らしで車は必要か?」という点についてまとめていきます。

 

 

 

結論「地方であればある程、車は必要」です。

何故なら商業施設の配置が車社会を前提としているから。

 

 

 

例えばAEONやショッピングモール。

スーパーやホームセンターみたいな暮らしのお店にも言える事ですが。

 


地方では「駅前ではない場所が発展している」という事がよくあります。

 


駅前に店舗を置くよりも車で行きやすい場所に展開した方が集客が見込めるんですよね。

 


そして店舗に行くためのバス等も少なかったりします。

 


結局、それなりに暮らしていくためには車が必要、と考えた方が良いでしょう。

 

 

 

更には「一人一台」が当たり前。

地方に行けば行く程、公共交通機関が貧弱になります。

 


車で20分の場所に公共交通機関では2時間くらいかかる、という事さえあります。

 


だから田舎では「一人一台」車を持つのは割と当たり前。

 


都会から夫婦で引っ越してきたとすると。

働きに出る夫が仕事をしている間は奥様が全く身動きを取れなくなる、なんて事も容易にあり得ます。

 


田舎で「一人一台」車を持つ事が成り立っているのは「みんな18歳で車を持つ」事が当たり前になっているから、というのもあると思います。

 


要は「車を購入する」という出費のかさむタイミングが分散しているんですよ。

 

 

 

結婚した時には互いに車を持っていて、仕事もしている状態だから収支がなんとかなるのです。

 


都会から夫婦で田舎に移住するとすれば。

引っ越し、車の購入と費用の掛かるタイミングが集中します。

 


更には共働きでも「夫婦どちらも新たな仕事に就く」となるので、出費と合わせて生活基盤を直撃します。

 

 

 

一台あたりどれくらい掛かる?

乗る車にもよりますが。

 


年間15万〜40万円程度の維持費が掛かります。

参考にガリバーのページを貼っておきます。

 

クルマにかかる維持費と節約のポイント|中古車のガリバー【公式】

 

夫婦が各1台ずつ持てば2台分掛かります。

新たに車や冬タイヤも揃えるなら相当な金額が掛かります。

 


もちろんどんな車を買うかにもよりますが夫婦で一台ずつ持つなら車の購入金額と初期費用だけでも200万円くらいは覚悟が必要かと思います。

 

 

 

車を持たない生活をすれば良くない?

移住をするためにこれだけ車の費用が掛かると「車を持たないのもありじゃない?」と思う方もいるかもしれません。

 


地方移住した身としては「最低でも一台は要る」と思ってます。

 

 

 

何故なら生活が制限され過ぎるから。

先に述べたように田舎の公共交通機関は貧弱です。

 


1時間に数本、便があれば良い方です。

そしてルートも限られます。

 


都会からわざわざ地方に移住する理由はなんでしょう?

 


大半が「生活環境を良くしたい」という理由だと思います。

 


何もない土地で生活エリアを狭めて生きていく事は「生活環境が良くなった」と言えるでしょうか?

 


悪化でしかない、と言い切って良いと思います。

 

 

 

都会からわざわざ田舎に引っ越してくる「目的」を達成するには残念ながら車は必須です。

 

 

 

 

 

 

最後に。

今回は田舎暮らしに対して後ろ向きな内容でのまとめとなりましたが。

 


ただ、事実としてお金が掛かるものは掛かるんですよ。

 


だから楽観視し過ぎて後悔するよりもきちんと想定する事は大切な事だと思います。

 


きちんと考えてよりよい田舎ライフを送りましょう!

【後悔対策】経験やキャリアを無駄にしない「使い道」について考えてみた。

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こんなツイートを致しまして。



就職、転職では特に言える事なのだけれど。

自分の積み上げて来た「専門分野」とは別の分野に飛び込んでいくタイミングってあるよね。

 


転勤、転属にも言えるけれども。

 


そんな培った「専門性」から違う道を歩む時に考えたらいいんじゃないかな、という事があったので記事にします。

 

 

 

無駄にするかどうかは自分次第。

最初に結論を述べてしまうと

 


経験や専門性は「使い方」でどうとでもなる、というのが私の意見。

 


使い方次第で生きもするし、無駄にもなる。

 


ただ、一つの道を深く学んだなら「転用」の効く使い道もあるはずだと思うのですよ。

 

 

 

私の場合

私は元々は法律畑の人間です。

 


ですが前職も現職も全く違う業界にいます。

工業関係なので全くの別分野です。

 


それでも「法律をやっていた経験」は役に立っている、と言い切れます。

 

 

何故なら「法律」そのものは使わなくとも「法律的な思考」は大いに役に立っている、と感じるから。

 

 

 

法律の条文って基本的には「制度趣旨」を考えながら適用していくんですよね。

 

だから条文をそのまま当てはめられる「原則」的な使い方と、条文には合致するけれど「趣旨に合わない」ので例外的に対応する場面があります。

 

更に「条文に合致しないけれど趣旨から考えると適用すべき」様な場面では「類推適用」で処理したり。

 

条文という道具があって。

用途と目的で使い分ける、と考えれば分野が変わろうとも同じ考え方が使えるんですよ。

 

 

現に仕事では「製品の想定する使い方ではないけれど、仕様から見たら確かに問題なく使える使い方」というエリアで商談化してきました。

 

 

細分化すれば「使えるピース」はどこかにある。

 


最近話題の「転職の思考法」という本にこんな考え方が出てきます。

 

 

 

人材の市場価値は「技術的資産✖️人的資産✖️業界の生産性」で決まる。

 

 

 

噛み砕いて言えば

 


個人の能力や経験

✖️

会社が変わっても使える人脈

✖️

儲かる業界にいるか

 


という要素で市場価値が決まる、という話です。

 

 

 

「技術的資産」を大きな枠のまま捉えると他の場所への転用が難しく思えます。

 

 

 

例えば「有機系の研究」の専門性をそのまま使うのであれば研究とか開発の仕事しかありません。

 

 

 

ですが、培った知識は営業職でも使える。

研究で培った考え方は別の業務でも活きる。

マーケティングにも使える。

 


と自分の専門性が「どんな要素で構成されているのか」と細分化すれば、転用が出来る要素ってたくさん出てくると思うんです。

 

 

 

業界の生産性、要は「稼げる仕事」というのも世の中の流れで変わったりします。

 


変化はどんどん早くなっています。

 

 

 

そんな変化の時代だからこそ。

望む、望まざるによらずどんどん自分のポジションを変えていく必要も出てくるかもしれません。

 

 

 

本気で取り組んだもの程、執着しがちですが。

 


本気で取り組んだこらこそ、分野によらず「バックグラウンド」として自分を助けてくれるものって結構あります。

 


社会ではそんな場面を山程見かけます。

 


最後に。

最後に改めて言いますが。

「自分の積み重ねたものを活かすも殺すも本人次第」です。

 


特に理想の道に進めなかったと嘆く人には伝えたい。

 


専門分野から一歩外に出たら周りはみんな素人です。

 


あなたの専門分野に潜む「武器」は周りの人が持たないものかもしれません。

 

 

 

別に気落ちしなくても良いので、頑張って積み重ねたことに自信を持って。

 


積み重ねたものの活かし方を考えてみませんか?

 

 

 

という、提案でした。

【メモの魔力】コミュニケーションでメモを使う事の利点。

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みなさんはメモをとりますか?

私は月に3本以上ボールペンを使い切る程度にはメモ魔です。

 


今回は「コミュニケーション」でメモを使う事の利点についてまとめていくよー。

 

 

 

メリットは大きく二つ

コミュニケーションでメモを使うメリットは大きく二つ。

 


一つは「思考の共有化」

今の話題が何なのかをメモにして表す事で具体的に共有化出来る。

 

 

 

更に「何が問題」で「どの様に対処していくべきか」と言った流れを共有出来るので、思考過程から共有して話を進める事が出来ます。

 

 

 

実際にやってみると気づきますが、お互いに「私はこう思っていた」という内容がすれ違っている事もよくある話。

 


後から「言った言わない」で揉めないためにも、メモで思考を共有する事は有用だと思います。

 


そして二つ目が「傾聴のサポートになる」事。

 


自分と相手の間でメモを活用しながらコミュニケーションを進めると相手からは「かなり親身になって聞いている」との印象を持たれやすくなります。

 

 

 

更にコミュニケーションの向きが「自分対相手」という向き合い方ではなく「自分&相手対メモ」の構図になるので、同じ方向を向いてのコミュニケーションになりやすくなります。

 

 

 

対面のコミュニケーションよりも同じ方向を向いたコミュニケーションの方がより深い話がし易くなるのもメモを使ったコミュニケーションの利点だと思います。

 

 

 

コミュ障なら特にメモを使うべき。

私もそこそこコミュ障ですが。

 


だからこそコミュ障程メモを活用してコミュニケーションをとるべき、とも思います。

 


何故なら「相手と向き合う負担が減る」から。

 

 

 

メモを前にしてコミュニケーションを取ると「相手と自分が向き合う」のではなく「相手と自分でメモに向き合う」という構図になります。

 


視線も注意も自分ではなく、メモに向かいます。

 


面と向かって相手と話をしなくて済むのでコミュニケーションの負担が軽くなります。

 


更に「意思疎通」の助けになる事もコミュニケーションの負担を下げてくれます。

 

 

 

大人しい人は特に相手の意見に押されがちになります。

 

 

 

しかし、メモに事実や流れを書きながら話をする事で「相手の感情」や「意見」よりも「具体的な事実」に沿ってコミュニケーションがし易くなります。

 


口頭だと同じレベルにある「感情」と「事実」を明確化して分離できる。

 


メモには具体化と合理化の力があるからこそ「流されずに伝えるべき内容」を詰めていくには役に立つんですよね。

 

 

 

営業的に使うなら。

もしも、営業の仕事をしている人であれば更に「メモを使ったコミュニケーション」は価値があります。

 


何故なら、さりげなく相手の隣に座れるから。

 


心理学的な話になりますが、人間は対面で向き合われると警戒心を持ち易くなります。

 


進化の過程で「向き合う」場面は捕食者対被捕食者の様な「警戒すべき場面」だったから、というのが理由の一つとの事ですが。

 


とりあえず友好的にコミュニケーションを取るときはなるべく相手と同じ方向をむいて。

 


かつ、相手のパーソナルスペースに自然に入り込めるとメリットがあります。

 

 

 

メモをお互いに、同じ方向から見れる距離がまさしく「相手と向き合わない、相手のパーソナルスペース内」というベストポジション。

 


メモを使うと「 対面だと見辛いので」とか言いながらさり気なくベストポジションに陣取る事が出来ます。

 


あとはメモを取る事自体が「相手との共同作業」になる事もコミュニケーションにプラスに働きます。

 


仲間意識を使いながら打ち解けやすくなるので、より深い内容まで話をするハードルが下がります。

 

 

 

さあ、メモをとろう。

今回は「コミュニケーション」にスポットをあててメモについてまとめてみました。

 

 

 

「メモの魔力」を読むと色々なメモの活用方が書いていますけれど。

 


具体化、抽象化、転用を含めた「メモのメリット」はたくさんあるんですよ。

 


マインドマップ」なんかもメモを使って思考を深める方法の一つです。

 


もし、コミュニケーションで悩む事があれば。

 


どうでしょう?

一度、メモを使ってみませんか?

 


と、お誘いだけして今回は終わりにします。

【ブログ】「気づき」という価値を提供したいブログ論。

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いわゆる「ブログ論」の様な記事を見ると「読者への価値が〜」とか「メリットは〜」とか書いてある。

 

 

 

どうやら読者に価値を提供する事が良いブログの条件らしい。

 


では「読者にとっての価値」とは何だろうか?

 


わかりやすく情報をまとめて。

まとめた情報が具体的な何かの役に立って。

 

 

 

と、いう事?

 

 

 

なるほど、わからん。

 

 

 

抽象的過ぎるよね。

 


というわけで私のブログ内での「読者への価値」とは何だろう?というのを改めて考えてみたよー。

 

 

 

あくまでも、私のブログ内でのお話だけれども。

 

 

 

私のブログのウリ。

私のブログのウリ。

言い換えるならPRポイントは何かと言えば「私が弱い事」だと思ってます。

 


激務で潰れてるわ、田舎移住にも失敗してるわ。

 


考え様によっては散々な人生を歩んでいる訳です。

 


か弱いんですよ。

 


でも、一方でそんな「弱み」があるからこそのネタが書ける。

 


やらかしてるからこそ少し読者とは違う視点が持てるんじゃないかなーって思ってるんです。

 

提供出来る価値は「気づき」

私のブログは別に有用なノウハウを提供しているわけでもなければ、オススメのガジェットを紹介しているわけでもありません。

 


大半を占めるのは私の「価値観」に基づく考え方やものの見方と捉え方。

 


好きな様に思った事を書いているだけ。

 


そこに「価値」はきっとないのだとも思います。

 


書いている内容自体にはね。

 


ただ、読者の方にとっては「こんな考え方の人もいる」という一例は提供出来るんじゃないかとも思ってます。

 

 

 

言うなれば私の発信する情報自体には価値はないけれど、読んでもらった相手の受け取り方によって初めて価値が生まれるんじゃないかな、と。

 

 

 

 


「気づき」のためのきっかけくらいにはなるんじゃないかな、と思います。

 

 

 

別に私の考え方を参考にして欲しいとかは思わない。

 


LOVE ME DOと「こんな私を愛してくれ」なんて事も言いません。

 

 

 

いや、好いてもらえるのに越した事はないけれど。

 


私は思考を垂れ流す。

あとは受け取ってくれる人にお任せします。

 


という奥ゆかしいスタンスでいいんじゃないかなー、と思ってます。

 

 

 

 


趣味のブログに求めるもの。

ブログを書くようになって私もいろんな人のブログを読む様になりました。

 

 

 

そしてノウハウなどでは無く、稼ぎっ気もないブログも読みます。

 

 

 

私が趣味でブログを書いている人に求めているのは「波長の合う心地良さ」なんだと思います。

 


だから、私のブログも「趣味のブログ」を読む人にとって「波長の合う心地良さ」を感じる場にしたいと思うし、読み進める中で「気づきのきっかけ」があれば万万歳かなー、と思うのです。

 

 

 

とまあ、中身があるようでないような記事ではございましたが、今後ともよろしくお願いします。