【ラットレース】消費の為に生きるのか、蓄積の為に生きるのか。
「ラットレース」という概念をご存知でしょうか?
「金持ち父さん、貧乏父さん」に出て来る概念なんだけど「働けども、働けども資産が貯まっていかない状態」を指してラットレースと呼んだわけです。
さながら回し車で走り続けるネズミの様に。
今回、お金の事を話すつもりはあまりなく。
メインのお話は「ラットレース」の考え方は「お金だけでなく時間やチャンスの使い方にも言える話だよね」という話です。
○「消費」のために生きてない?
働いてお金を稼ぐ。
そしてそのお金をどうやって使いますか?
例えば食費を含む生活費。
教育費。
家のローンや交際費。
色々な使い方が考えられるよね。
人によっては「趣味に全力で突っ込むぜ!」みたいなタイプもいるかもしれない。
ただ、お金の使い方を振り返ってみて「後に残るものがどれくらいあるの?」という事を気にしてみて欲しい。
「後に残る」というのは有形、無形を問わない。
経験や思い出も「後に残るもの」として構わない。
生きるためには食費がいる。
遊ぶのにもお金が掛かる。
お金の使い方はその人個人の自由だとも思う。
でもさ。
例えば意識もせずにコンビニでジュース買ったり菓子パン買って月に一万円使うのも、100g一万円のお肉を食べるのも同じ一万円なんだよね。
月に一万円をコンビニで使うなんて何気ない事だけど100g一万円のお肉なんて一般人はそう頻繁に食べる機会はないじゃない?
そんな感じで後に大して価値の残らない「消費」しかしていないなら人生の時間も機会も失っていると思うんだ。
結構、もったいない状態になっているんじゃないかと思うんですよ。
一般的なサラリーマンならお金を得るためには時間を使わなければならない。
お金を使う時にも時間を使う。
ならば「お金を使う対象が何なのか」というのはとても大切なお話だよね。
言い換えれば「あなたの人生の時間を何と交換していますか?」という問いにもなるのだから。
○「ラットレース」はお金だけじゃないのかも。
働けど働けど「資産が貯まらない」のがラットレース。
でも、同じ構図の事って他にもあるよね。
例えば。
遊んでも、遊んでも「より楽しく」はならない。
働いても、働いても「市場価値が上がらない」
やっても、やっても「前に進まない」
自分のために「蓄積」するのではなく、とりあえず「消費」するために時間を過ごすと「ラットレース」の様な状態にハマりやすいと思うんです。
何事においても。
例えば、暇つぶしのYouTube。
例えば、誰にでも出来る単純作業。
例えば、ただ眺めるだけの本。
漫画を読むのも極めれば「漫画についてのスペシャリスト」になれるんだよ。
書いたり動画で発信すれば自分の価値にも金にもなるかもしれない。
時間を使う対象ではなく時間の使い方への「向き合い方」を見直す事で「蓄積」型の人生を送れるはずなんだと思います。
○言いたかった事。
今回、言いたかった事をまとめると
「人生の時間を消費するのはもったいないから、蓄積出来る使い方を考えよう」という事だよ。
自分でも実践してこのブログで成果の発信が出来たらいいなーって思います。