【VSコロナショック】コロナと戦う転職活動
どうも。
新潟から都会に行くための転職活動を始めた私です。
今、社会的にはコロナショックという状態なので田舎から都会の転職活動に加えて非常時の「転職活動」として発信できたらなー、と思いながら記事を書きます。
コロナウイルスによる転職活動への影響
5社程転職エージェントを使って聞いてみたらこんな感じでした。
- 採用は今後絞られそうな感じ
- コロナ後の経済状況を想定しても今が滑り込みのタイミング。
- コロナだろうが人が必要な会社も多いので求人は0にはならない。
- 面接はSkypeに切り替わっている傾向。
- 面接が組みづらいので転職にかかる期間が延びる事が予測される。
- 面接がWEBになる事で移動の負担が減るので地方在住社には追い風の環境。
過去の転職活動と比較すると良い求人を紹介頂けているので、個人的にダメージは少なさそうな雰囲気を感じています。
地方から都会への短期転職について。
私が田舎に来て2年も経っていないので、短期離職にはなります。
エージェント各社の意見としてはこんな感じ。
- 転職理由が仕事以外の事なので影響はあまりない。
- 特に家族を理由に田舎を離れるのであれば尚のこと。不可抗力と考えて貰える可能性が高い。
- ただし、最終の比較で転職回数の少ない求職者と比べられると不利になる可能性はある。
一応、1社目に長く勤めていたこともあり影響は意外と少ない感じでした。
想定よりも、ですけれど。
転職に影響している事。
幸い個別のオファーも貰えてはいますが転職エージェントに評価されているのはこんな感じの内容です。
- 数字からの目標設定が強い。
- 言われなくても業績にプラスに働く行動をする。
- 相手にしてきた業界、部署の幅が広い。
- PRポイントになりそうな付加価値提案の事例が多い。
- 面接力
- 逆境への強さ
論理立てて根拠を基に注力した事を説明できたり、予想外の質問でも対応出来るので書類さえ通れば心配はなさそう、との意見を貰いました。
逆境力で言えば、能力不足で大口顧客を外された年に意地になって新規開拓やりまくる
↓
外された大口顧客と同じくらいの数字を純増させる。
とかも評価されたり。
実際のところ。
コロナウイルスの影響は思っていたよりも少なそう、というのが正直な感想です。
ただ、面接で都会に行く=感染リスクの高い土地に行くことなので結構不安です。
会社では「不要不急の出張は避ける」と言われた中で都会に出向いて感染したら言い逃れは出来ないです。
しかも都会に行ってた理由もたぶんバレる。
更に会社のメンバーの自宅待機と一時閉鎖までの可能性もあるのでリスクがめちゃくちゃ高いです。
とりあえずは面接をSkypeにしてもらって移動を避ける、くらいしか手が無いのも困り物。
救いなのは求人を出している企業も感染リスクを避けたがるので、利害が一致している事。
一応、Skype面接の交渉が通りやすい環境ではあるって事くらいです。
ぶっちゃけ、やり辛い。
そもそも面接のために都会に行くこと自体に後ろめたさがすごいです。
てなわけで。
今後の転職活動の様子も発信できたらなー、と思います。
【ブログ】ぶっちゃけ田舎暮らしもいつかは慣れる。
田舎暮らしから都会へ戻ろうとした矢先にコロナウイルス騒動で先行きがわからなくなってきましたよー。
どうもです。
このブログはタイトルの通り「田舎移住に失敗した」ことをネタに始めたブログです。
が。
ぶっちゃけ取り上げたいと思うような田舎ネタが少ない今日この頃です。
ただ、よくよく考えると「田舎暮らしに慣れてきた」という状況にこそ学びがあるのではないかとと思ったので記事にしてみるよ。
理想の生活も長期で見たらいつかは慣れる。
私の場合は田舎暮らしに惹かれたので、田舎に移住したわけです。
都会の喧騒を忘れ。
ゆったりとした時間の中で。
人間らしい生活を取り戻そう。
なんて考えて移住しました。
結果、目的は一応達成しまして。
毎晩21時台には寝るような超健康的な生活を送れるようになったし、気分も良い。
家族との時間もある。
毎晩、終電で週末にしか起きてる家族と顔を合わせなかった頃と比べたら、かなり人間らしい生活にはなったのですよ。
でもね。
「慣れる」んですよ。
最初は「あー、時間があるって素晴らしい!」とか「仕事に余裕があると気持ちが楽だー!」とか幸せを感じたんですよ。
しかし、慣れてくるとありがたみがなくなっちゃうんですよ。
理想だけを追ってもいつかは慣れる。
そして感じたのが「幸せ」を求めることの難しさ。
長く続けるほどに熱意のあったものも習慣的な作業になるし、輝いていた景色もなんてことない日常の景色になる。
一時の感情や熱量で動いた時ほど、慣れの落差によって「こんなはずじゃなかったのに」とか「最近楽しくないなー」と、飽きちゃったりするんですよ。
田舎暮らしなんてかなり準備しないとリスクもある行為なのにさ。
リスクを冒してまで手に入れたのに、慣れてしまえば楽しみが薄くなるのさ。
理想が理想であり続けるのって実は結構難しい。
気がつけば「苦労したのに割に合わないなー」とか思っちゃう人もいるのかもしれない。
裏を返せば……。
理想的な環境でも続けば慣れて飽きる。
裏を返せば理想的とは言えなくても変化があれば
飽きない。
結局、人間が楽しみながら生きるには追い求め続けるしかないのかなー。とも思うんです。
はい。
【日記の次】雑記記事の前にルポルタージュはいかがでしょう?
今回は田舎暮らしに全く関係ないお話よー。
ブログを書いていると「日記記事はいけない」みたいな話をよく目にするのだけれど。
日記を趣味で公開するなら良いのだけれど、人を集めるには向かないよ、という話。
そして雑記記事とかまとめやノウハウに移ろうとして挫折しちゃう人も多いらしい。
で、ちょっと思ったことがあったので記事にします。
「ルポルタージュ、いかがでしょう?」
ルポルタージュって何?
ルポルタージュで調べたら「現地報告」とか出てくる。
客観的に詳細に。
体験したこと、取材したことを綴っていくのがルポルタージュという感じ。
イメージが湧きづらいなら世の中に数多あるルポ漫画みたいなのを思い返したらいいと思うの。
個人的な意見に過ぎない提案だけれど、日記は書けるという人はルポルタージュ形式も使ったらいいんじゃない?と感じたりするんだよね。
日記との違い。
個人の見解だけれど日記とルポルタージュの大きな違いは視点が自分にあるか、他人にあるか、だと思うんですよ。
思い出した視点を自分用にまとめるのが日記。
体験したことを第三者が追体験出来る様にまとめていくのがルポルタージュ。
日記記事だと、人間関係等 自分しかしらない情報も出てくるけれど、ルポルタージュだと「この記事で初めて自分の記事を読む人」にもわかるような書き方が必要になったりする。
いきなりまとめやノウハウに走るよりもよくない?
そもそも、何故突然「日記からルポルタージしてみたら?」とか言い始めたのかと言いますと。
有名ブロガーやブログ論をまとめている人達の「日記ブログは集客できない」みたいな情報を見て、何かしらのノウハウやまとめに走っていなくなる初心者ブロガーさんを度々見かけたからなの。
私自身、この記事を書いている段階ではブログを初めて半年くらいだし、本当に趣味でやっているレベルだからとやかく言う資格もないのだけれど。
無理して「なんか違う」という違和感の中でブログを書いて潰れてしまうよりは、今できている「日記」を武器にして視点だけ変えたらいいんじゃないのかなー、とふと感じたんですよ。
漫画を中心にウケてる人もいるジャンルな割にブログだと意外と少ないなー、とも感じたので。
なによりも「体験を発信できる形に加工する」とか「第三者が追体験出来ることを考える」って高度なことだし、メリットも多いとも思うの。
少なくとも自分の中でいつでも引っ張りだせる程度には整理ができるし。
客観視だってできるじゃない。
てなわけで。
ブログ初心者が、ふと感じたレベルのご提案なのだけれど。
まとめてみたよー。
【つらさ対策】生きるのがつらい人は義務感にやられているという話。
激務が嫌になった結果、勢い余って田舎に移住した私です。
Twitterで、しんどそうな人を見かけまして。
読んでもらえるかはわからないけれど、伝えたいことがあって記事にします。
昔の自分を見ているようだったので。
義務感との付き合い方で自責癖は随分と変わるんだ。
過度の義務感は人生を辛くする。
責任感があるのは良いことなのだけれど、義務感が強すぎると生きるのがしんどくなるんだ。
「〜でなければならない」という感覚。
例えば。
- ノルマは必ず達成しなければならない。
- お客様への対応はすぐにしなければならない。
- 社内でのコミュニケーションは円滑にしなければならない。
- 書類はきれいに整えて作らなければならない。
とかいうのもある意味で「義務感」
「やらないといけない」という感覚だよね。
上の例を見ると「社会人なら当たり前」と思う人も多いと思うの。
でも、少しだけ付け加えるとまるで意味が変わってくるんだ。
- 「実現不可能なものでも」ノルマは必ず達成しなければならない。
- 「仕事がパンク状態でも」お客様への対応はすぐにしなければならない。
- 「どんなに合わない人とでも」社内でのコミュニケーションは円滑にしなければならない。
- 「作り方は教えてもらえないけど」書類はきれいに整えて作らなければならない。
さて、どうでしょう?
一つ条件を加えるだけで一気にストレスフルになったと思いませんか?
そして、どれもよくある話なのが恐ろしいところ。
世の中には正論で義務感を煽る人がいます。
赤字で追加したような状況を無視して「社会人として当たり前」とか、正論でぶん殴ってくるようなタイプの人です。
そして、他人に対して煽ってくる人がいるのと同じように「自分に対して」義務感を煽って追い詰められる人もいるんですよ。
「自分はこんなことも出来ない」とか「周りに迷惑をかけている」と感じで辛くなってしまう人には考えて欲しいんです。
本当に自分が辛く感じている様な状況や評価の中にいるのか?
悪いのは自分ではなく、条件や環境なのではないかと疑って欲しいんですよ。
まずは気付きましょう。
「楽な気持ちで生きる」ための対策とかノウハウ的な話もあるのだけれど。
そもそものお話として「自分を責める考え方をしている」ことに気がつかないとどうしようもない。
激務でぶっ倒れたことがあるから言うけれど「義務感」に支配されていると環境や状況を疑うことが出来ないんです。
「出来ない自分が悪いだけ」という思考に嵌る。
だから「自分の考え方の偏り」に気づくことがまずは大切だと思うんですよ。
今回は具体的な話はないのだけれど、誰かが「生きるつらさ」に気づいて抜け出すための助けになればいいなー、と思います。
ではー。
【Uターン】とある家庭の都会回帰【Oターン】
このブログで割と読まれているのがOターン関連の記事です。
当時は都会から田舎、田舎から都会の引越し予定だったので正しくはUなんですが間違えてました。
と、言いながらも都会から田舎に来て、都会に戻るという部分は共通です。
田舎から都会に戻る情報はあまりないので、引き続き「Oターン」をタイトルとかに入れていこうと思います。
というか、家族会議の結果嫁ターンする事になったので最早、Uターンでもないんです。
冒頭画像みたいな感じで話し合いました。
さて、本題。
今回は一つの例として、我が家が都会に戻るための計画をまとめていくよ。
もし田舎から都会に戻る人がいたら参考になれば
嬉しいよ!
ぶっちゃけスケジュール
もう本当に何も隠さずに言いますが、こんな感じで動きます。
- 3月:書類選考応募開始
- 4月:嫁と子供が引越し(実家に帰る)
- 〜6月:内定目標
- 6〜7月:転職
理想としてはこんな感じ。
ボーナス貰ったらすぐ辞める予定です。
嫁ターンを決心したので嫁の実家を頼れるのが結構大きいです。
子供が幼稚園に入る歳になるので、先に嫁と子供に引っ越してもらって見学会に参加してもらいます。
更に新居選びも任せます。
不安の種
で、理想のスケジュールは先述の通りなんですが不安の種が結構あります。
このあたりが特に大きいです。
スケジュール通りに行くのか、は内定が取れるかという問題の他に自分が仕事選び出来るかも含みます。
新型コロナウイルスとオリンピックは結構、痛いところです。
もうどうなるかわかりませんので。
とまあ、そんな感じ。
という流れで今後、嫁ターンを進めていくのです。
進めながらネタにもしていくので、お楽しみに?
【グッバイ田舎】都会Uターンを本格的に始めます。
「田舎移住に失敗しまして」と公言している通り、田舎移住に失敗しています。
と、言うわけで田舎から都会に戻る予定があります。
そろそろ本格的に都会Uターンを考える時期になってきたので、記事にしてみようと思います。
「ただ都会に戻れば良い」とは言えない。
とりあえず「都会に戻る」となるとあれこれ考えないといけないのですが。
- どこに住むか?
- どんな仕事をするか?
- 幼稚園とか子育て関係をどうするか?
- ライフスタイルをどうしよう?
とか。
ただでさえ、長距離の引越しで心理的なハードルや金銭的なハードルも高いのに、更に悩み事は多いのです。
特に私の場合は田舎暮らしに特に不満がないけれど家庭の意思決定として都会に戻るので「仕事とか何しようか」と結構悩みます。
田舎に来たからこそ悩む事もある。
あとは田舎に来たからこそ、都会への戻り方を悩んだりもします。
元々、都会で激務に嫌気がさして田舎移住をしました。
通勤も自家用車になって毎月100時間以上だった残業も1/3以下にはなりました。
それなりにゆったり暮らしているからこそ「みっちり働かないと生きていけない」という価値観に疑問を感じるようになりました。
逆に田舎で衰退していく地域や産業もたくさん目にしてきたので「今後の将来性」を考慮してポジションを取らないと「将来的にかなり危ういのでは?」とも思うようになりました。
要は田舎暮らしで「無理せずに働ける」かつ「将来性のある市場や働き方」を探すべき、という価値観になったわけです。
ただ、このあたりは見極めが難しい。
更に、自分のキャリアでどれだけの選択肢があるかも問題なのです。
正直、以前都会で内定取れたのに自分の中で折り合いが付かずに辞退してますし。
視点が広がったからこそ出てくる悩みも結構深いものがあります。
当面のブログについて。
てなわけで、田舎暮らしというよりも。
今後は「田舎から都会に戻る」を意識したネタが増えるかと思います。
そんなこんなで少し方向性は変わって行きますが、引き続きよろしくお願いしますー。
【働き方改革】本来の論点は「労働環境の適正化」だという私見
都会の激務に疲弊して田舎移住をしました。
仕事柄、「顧客の仕事を楽にする」という論点での話を度々します。
すると「今って何か言えばパワハラになる」という話が5回に1回は出てきます。
個人的に感じた違和感の正体について掘り下げてみたいと思います。
「労働環境を整える」という事
働き方改革で連想される事はなんですか?
よくある話だと
- 残業削減
- パワハラ撲滅
- 仕事の効率化
- 福利厚生の拡充
- 人間関係の改善
あたりではないでしょうか?
実際に提案訪問するとよく出てくるキーワードです。
確かに労働環境の改善においては大切な事だと思います。
一方で「無条件で環境だけ緩くすればいい」かと言えば間違いだとも思います。
何故なら、基本的には「給料は労働の対価」だから。
やる気のない社員に合わせてプレッシャーを下げるだけの「なあなあな環境」を作るのは対価の関係を崩すものだと私は考えます。
極端な話で例えると「勤務態度や成績は関係なく、社員を養うよ」という方向性を出したとして効果は上がるでしょうか?
おそらく、モチベーションの低いぶら下がり社員が増えるだけだと思います。
そして、現代の働き方改革に取り組む企業の内、一定数は「効果測定」を蔑ろにして「なあなあな環境」を作る方向に施策を打っているようにも思います。
「働き方改革」とは労働環境の適正化を指す。
個人的な意見としては「働き方改革」とは「労働環境の適正化」を指す取り組みであるべきだと考えます。
会社が社員に効率化や生産性の向上を求めるのであれば、改善をするための環境を整備するべき。
また、労働者側も「環境の改善」を求めるのであれば要求に見合う努力を見せるべき、だと考えます。
発給激務でサービス残業まみれのブラック企業では会社側に問題がありますが。
給料の対価たる労働に意識の低い労働者が「不相応な」待遇を求めるのにも問題があります。
現実問題、どうなんだ。
で、実際の取り組みを見てみるとどうでしょう?
効率化や生産性の向上を求めながら、現場で改善のネックになっている要因の解決に対して投資をしない会社がいくらでもあります。
「社員に要求はすれど、環境は用意しない」
という状況。
結果、現場の労働者の納得感が下がり、モチベーションが低下する。
現場に起きた問題を叱咤激励で改善しようとするも、更なるモチベーションの低下を引き起こす、という負のループに入り込む。
一方では一律の残業削減によって本来やるべき業務を蔑ろにする社員も存在する。
これって働き方改革の意味があるのでしょうか?
会社は労働者に対して求める生産性を実現する必要があるし、労働者は会社が準備した待遇に見合う働き方をする必要があると思います。
要は「労働と待遇が釣り合う」様に環境と労働内容を最適化する取り組みこそが必要だと思うのです。
緩く、厳しくは使い分け。
結論、働く条件の厳しい、緩いは仕事内容に応じて使い分けるべきで「甘くすれば良い」わけではないんですよね。
高給激務な仕事があっても良い。
ただ、「成果に関係のない」とか「成果を妨げる」理不尽は是正しなければいけない。
営業で例えるなら「売上を上げろ」というのなら「売上を確保するための時間」等 リソースは確保されるべきだし「売上を上げる」ための思考時間は確保される環境であるべきです。
今、身の回りやニュースを見ると「環境を与えずに生産性向上を求める会社」と「成果や努力を鑑みずに対価を望む労働者」によって働き方改革は上手く進んでいない、と感じてなりません。
そして、違和感になっているのだと。
終わりに
今回は賛否両論あろうと思いますが個人の見解で書いてみました。
どうでしょう?
ここまで読んで頂けた方は何を感じますか?
ケースバイケースで最適解と言うのはなかなか難しいかもしれません。
ですが、私としてはこれだけ「働き方改革」が叫ばれる世の中では「最適化」の時点で進める会社と労働者が増えたらいいな、と感じます。