【認知の歪み】「どうにもならないことはどうにもならない」という当たり前。
Twitterやブログの自己紹介では書いている事ではありますが。
大手企業の激務に潰れて適応障害になった事があります。
私の中では「価値観を変えた大きな出来事」としてリフレーミングが済んでいるので今更どうとも思いませんが。
でも、きっと。
世の中には「当時の私」みたいに「目の前の圧力に潰されそうになっている人もいるんだろうな」と思い、改めて当時の事に触れようと思います。
記事を書く前に一言。
「おかしいのはあなたではなく環境」という事もよくあることだよ。
必要以上に思いつめないでもいいのだよ。
「認知の歪み」って何?
WEBで調べると「誇張的で非合理的な思考パターン」なんて検索結果が出てくる。
なんだそれ?
噛み砕いて言えば「現実を無視した極端な考え」みたいな感じ。
例えば天気が悪くてせっかくの予定がキャンセルだったとする。
それを「私が今朝、寝坊したダメなやつだから雨が降った。きっと私のせいだ」と本気で思ってる感じ。
自分に責任が無いことまで自分のせいだと抱え込んだりする。
この「認知の歪み」が酷い状態を放置するとメンタルを病みやすい。
さっきの例だと「因果関係が無いことはわかるよ」と感じるかもしれない。
でも、実際には誰にでも起こり得る事なんですよ。
恐ろしい事に……。
私の場合
端的に言えば「業務量とノルマ」で潰れました。
割と激務な業界で営業してたんだけど。
イメージとしては1000名以上の担当しながら定時内はひたすらに面談やプレゼン。
19時くらいからようやく戻って社内で仕事。
でも残業はするな。監視するぞ、という感じ。
今考えるとどう考えても無理。
そもそも定時に社内いないもん。
ただそんな環境でも要領良く潜り抜ける人もいたから「悪いのは要領良くこなせない自分なんだ」とどんどん自分を責めた。
溜まった仕事の処理で外出をしない日は「自分はなんてダメなやつなんだ」と本気で悩んだ。
気づけば毎日家では吐き続け、眠れなくなり。
「自分は社会に必要とされない。何の価値も無い人間で生きる事は許されない」と毎晩ずっと頭を抱えてクローゼットや空のバスタブで寝てた。
眠れてないけど。
そんな状態になったきっかけは異動と担当変更。
上司が変わって方針が変わった事。
それまで一応何事もなく働いていた人間がたった1年でこのくらいにはおかしくなっていた。
「どうにもならないことはどうにもならない」
超当たり前の事なんだけど「どうにもならないことはどうにもならない」
でも、そんな当たり前が追い詰められるとわからなくなるんだ。
私は田舎に逃げてから。
自己嫌悪に埋もれながらもようやく思い出した。
思い出した経緯なんて「自分みたいな生きる価値のない人間に何が出来るんだろうか」とネガティブな事をノートに書き殴っていた事だしね。
自分がダメな理由をひたすらに書き出して懺悔してたんだよ。
自分が世界に存在する事に対して。
人生を終わらせるべく整理を始めてたんだよ。
嫁も子もいるのに。
で、たまたま運良く「あれ?おかしくない?」と気づいた感じ。
振り返れば、律儀に守ろうとしたら現実的に不可能。
上手くやってた人は要領良く周りを使ったり外回り中に社内処理をしていた。
それ以外の人は達成出来ずにいたし、潰れる人も多かった。
退職者もいたし。
もし、この記事を読んでいて。
現実に追い詰められて堪らなくしんどい人がいたら。
一度考えてみて欲しいんだ。
「こんなに抱え込む必要があるのかな?」
ってさ。
私の場合は「仕事が出来ない=生きているべきではない」というところまでいってた。
でもさ、考えてみたら。
たかだか
一つの会社の
一つの部署の
一つの職種の
仕事が上手く行かなかっただけ。
それも周りにも上手く行かなかった人もいたし、転職していった人もいる。
なのに私だけが「生きている価値がなかった」かと言えば違うよね。
たまたま環境が合わなかっただけなんだよ。
実際、転職してそれなりに仕事してるし。
私は仕事を辞めて、人間関係も絶って、引っ越しまでした。
そこまでしなくても、まずは「捉え方」を見直す事で何かが良くなるきっかけくらいは掴めるんじゃないかなーって思うんだよね。
もしもの話。
昔の私みたいに悩んでる人がいたとして。
需要があるなら立ち直るまでにしたことをまとめてもいいのかなって思ったりもする。
地味にかなりいろいろやってるから何かしらの手助けはできるんじゃないかなーって。
そのあたりはまたいずれ。