【転職・就職】「周りに合わせないと本当にいけないんですか?」という話。
前にこんなツイートをしました。
私みたいにそもそも社会生活がしんどい人は生き方の戦略を変えないといけないんだろうな。
— めえ太@田舎移住に失敗しまして。 (@hitsujino_meeta) 2019年11月5日
社会も常識も多数派に都合良く設計されてる。
その中で自分を合わせようとしても無理が出る。
少数派になるから整備された道はないかもしれないけど、多数派と同じ道を歩かない事が楽に至る道なのかも。
どうも、社会不適合者です。
ストレス社会の現代では働き方に悩んでる人は多いと思うんだ。
例えばのお話で。
- 「周りの人よりも仕事が遅い」
- 「周りの人みたいにコミュニケーションがうまく取れない」
- 「周りの人みたいに人を使って仕事ができない」
とかね。
仕事では基本的に比較もされての評価になるから「周りと同じ様に出来ない」事を恐れて、不安になって、自己否定をする。
そんな人が多いんじゃないかなーって思うんです。
どうでしょう?
これからも延々と。
不安と、焦りと、自己否定に支配される人生でいいんでしょうか?
本当に周りに合わせないといけないの?
本当に周りと同じでないといきていけないの?
「一回、考えてみようよ」という話。
普通を目指す事が間違いだと思う。
例えば鬱で休職した人が復職する時のアドバイスに「無理せず、徐々に慣らしていきましょう」みたいな事を言うじゃない。
でもよくよく考えてみたらそもそも「慣らしていく必要があるの?」と思うのさ。
人間、向き不向きも特性もある。
みんな金太郎飴みたいな量産型じゃないんだから個人差は当たり前にあるんだ。
というか金太郎飴ですら一片ごとに断面は微妙に違うじゃん。
でも、仕事においては役割や職務の内容によって皆同じような「あるべき姿」での振る舞いが求められる。
「これくらい出来て当たり前」
とね。
でも、この「あるべき姿」というのは個人の性質や個性を一切無視してるのさ。
仕事を回すための要求事項だから。
ピカソだって事務の仕事するならルーティンをやらないといけないし、ライン工の仕事ではエジソンだって黙々と同じ作業をしなければならない。
羽生名人だって真面目にオリンピックの選考会に出されたら100mで10秒の壁を破る事を期待される。
その役割も、出来ないといけないと言う感覚も全て仕事によって求められる「あるべき姿」によるものなのさ。
だから向いてないものは向いてないし、無理に「慣らして」辛い思いを続けるくらいなら生き方を変えちゃうべきだと思うんだ。
ピカソには絵を描いて貰えばいいし、エジソンには発明をして貰えばいい。
100mはウサイン・ボルトにでも任せればいい。
「一般的な生き方だから」という理由だけで辛い生き方や働き方を選ぶ必要はないと思うんだよね。
そもそも生き方を「選んでいない」
私を含めて多くの人に当てはまると思うけど、そもそも生き方を自分で選んでいる人が少ないと思う。
働き方とかも含めて。
何故なら多数派の歩む道は安定して見えるから。
椅子もたくさんあるし、道も舗装されている様に見える。
だから「とりあえず」で進んでしまう。
選んでしまう。
海の魚に舗装された道はしんどいし、慣れようと頑張っても干からびるだけなんだ。
少し厳しい事だけど、多数派に都合の良いルールが合わない人は自分で道を切り拓いて、作り上げていかないと安住の地にはたどり着けないのさ。
そもそも「自分に合った生き方」を選ぼうとした事がなかったのなら小さくても生き方について考え始めるのは大きな一歩だと思うんだよね。
小さくても進んでさえいたらどこかしらには辿りつくさ。
社会不適合者の安寧は普通とは違う所にある。
しんどい仕事や人間関係から逃げる事を世間では「逃げの転職」という。
「何度も繰り返していつか人生が詰むぞ」と脅される。
でもさ。
「逃げる」と「選ぶ」は違うんだ。
嫌なタイプの人から逃げ続けて、逃げた先でまた別の苦手なタイプに出会ったら逃げ出して、というのは繰り返すかもしれない。
でも、そもそも「苦痛になる様な人間関係が発生しない生き方を送る」となれば逃げではなく選択になるのさ。
自分がしんどい事から逃げずに受け止めて潰れるよりも。
自分がしんどい事から逃げてまた逃げてを続けるよりも。
そもそもしんどい事に出会わない道を選べばいいんだよ。
「言うは易しやるは難し」ではございますが。
【まとめ】言いたかった事。
要するにリスクが少ない一般的な道が楽とは限らないという話。
個人の特性で向き不向きはあるんだから苦手な領域で頑張ってもしんどくなるだけ。
ただ、多くの人は自分の特性は無視して一般的でリスクの少ない道を歩いていく。
はっきりと選ぶわけでもなく、何となく歩いていく。
だから多少リスクがあろうとも苦手でしんどい事を少しずつ人生から排除していく選択をしてもいいんじゃない?という話し。
残念ながら誰もが安全で一般的な道に適合できるわけではない。
自分が生きる道を拓く力がもしかすると社会不適合者が楽に生きるための必須条件なのかもしれないね。