田舎移住に失敗しまして。~田舎に来たけど都会に帰ります~

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「働き、生きる」がしんどい理由ってなんだろう。

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最近、TwitterYouTubeでよく見かける話題。

 

 

 

「一度きりの人生を楽しむ」

「しんどい労働から解放される」

「会社に搾取されない」

 


とか、そういうお話。

「働く」事はストレスフルでしんどいし、意味の少ない事だという前提があるみたい。

 

 

 

世の中の「ブラック労働のお話」や仕事によるメンタルヘルスの問題もあるのだけど。

 

 

 

「働き、生きる」事がなぜしんどいのか。

 


今回はそんな事を考えてみたいと思う。

 

 

納得感がないから

納得感がないまま働かなければならない環境に一因があるのではないかと思うのさ。

 


逆に納得出来ていれば多少厳しい環境でもやっていけるんだと思う。

 


例えば激務高給の代表、キーエンス

 


平均年収は2000万円を超えた。

働く環境がそれなりに厳しいのも周知されている。

 


でも、社員の働き方に関する調査をすると高い点が出てくる会社。

 

 

 

オンオフが非常にはっきりしてるし、残業代も満額出るみたい。

 

 

 

平日の飲み会や休日の使い方ですら「会社が社員に干渉し過ぎない」ためのルールが存在する。

 

 

 

要は時間や気力を使って身を捧げても「損をする」感覚はあまりないのではなかろうか?

 

 

 

きちんと働く以上の対価があるから、納得して疑問なく働く事が出来る。

 

 

 

だから自信を喪わずに働いていけるのではなかろうか?

 


査定や評価も数字ベースで合理的だし。

 

 

 

世の中によくある会社とやらは真逆なんだ。

 

 

 

働いた苦労に見合うと感じられる報酬ではないし、会社が利益を上げるために合理的とは言えない文化が残っている。

 

 

 

自分の貴重な時間を吸い上げて非効率なやり方で浪費して、利益を還元しない様に社員の目には映る。

 

 

 

要は搾取されてる実感があるのだ。

 


「あなたは搾取され続けたいですか?」

 


と聞かれて「はい」と答える奴がいるだろうか?

 

 

 

いるわけないだろう。

 

 

 

搾取されてる実感があるのに納得なんて出来るわけがないのさ。

 

 

 

常に他者基準で仕事は動く。

「風邪で休めないあなたへ」的なキャッチコピーが風邪薬に付く様に。

 

普通に考えたら「休めよ」ってなるじゃん。

 

 

 

世の中、自分がしんどいからという基準で仕事をコントロール出来ない事が多いと思う。

 

 

 

自分のコンディションに合わない働き方は身を滅ぼすなんて事はわかりきっているのに仕事の環境は変えられない。

 

 

 

仕事の環境は変えられないと「思い込んでいる」というのが正しいのかもしれないけど。

 

 

 

 


大学新卒から40年も働かないといけないのに「辛い時は逃げ場がない」のが当たり前と言うのもおかしな話で。

 

 

 

「40年間何があっても逃げ出さずに全ての仕事をやり通す」というあり得ないくらい高いハードルで「ようやく、普通」と扱われてる感すらある。

 

 

 

「逃げる事で即、落第」みたいな空気。

 

 

 

働くのも、辛いのも自分。

感じるのも、考えるのも。

悩むのも、生きていくのも自分。

 


なのに「自分都合」が許されずに「他人の基準」で生きていかないといけない状態が「働き、生きる」を辛くするのだと思う。

 

 

 

 


まとめ

てなわけで。

 

 

 

現代社会の「働き、生きる」がしんどいのは「納得感がない仕事を強いられていて、自分の都合を無視して働き続けないといけないから」というのが少し考えた結論。

 

 

 

逆に言えば「納得感を持って、自分都合で」働けるなら生きづらさを感じる人は減るのではなかろうか。

 

 

 

だから昨今はフリーランスが流行ってるんだとも思うよ。

 


他の理由も多いだろうけど。

 

 

 

成果もリスクも自分に返る。

 

 

 

 


そして何より「必要な相手と必要なだけ働ける」という「自分基準の働き方」に夢を見ている人が多い様に感じてならない。

 

 

 

最後に意見を一つ述べるとするなら。

 

 

 

ただフリーランスになるのではなく「自分は何をしんどく感じているのか」という自己理解がなければいつまでも「働き、生きるが辛くなる」リスクを抱える事になる。

 

 

 

だから、自己理解を常に進めながら働き方を模索するのがベターなのかもしれない。