【1日10分】「小さな変化」を作れてますか?【生活改善】
何となくうまくいかない。
毎日が少ししんどい。
そんな時にどうしますか?
私は都会で激務をしていてどうにもならなくなって。
田舎に移住してしまいましたけれど。
田舎に来て思うのは移住とか「大きな変化」ではなくても「小さな変化」を毎日積み重ねていけば出来る事って多いんじゃないかな、と言うことだったりします。
1日10分、最初は1分でも良いと思う。
経験上、耐え難い、と感じる状況に置かれた時って意外と「現状を変える」という考えにならないし、行動にも移せなかったりする。
何故なら「余裕がない」から。
例えば激務に苛まれている状態だと「仕事最優先モード」になったりする。
サービス残業を強いられる様な状況でも「仕事が終わらないから」とか「責任があるから」と生活の中のほとんどのリソースを仕事に費やしてしまう。
仕事だけではないのだけれど、しんどい状況に置かれると「悩み」や「焦り」に苛まれる時間も含めて自分らしく過ごす時間が奪われてしまう。
結果、時間にも気持ちにも余裕がなくなって「何かをやろう」と言う気持ちにもならないし、行動も出来なくなる。
「今をなんとかしてやり過ごす」事に生活の全てを費やす様な生き方になってしまう。
毎日が現状維持の繰り返しなのだから延々と繰り返してもしんどい状況は変わらなくなってしまう。
だから「現状から変えていく」ためには10分でも、1分でも良いので明日を変える「変化点」を作ってやれば良いと思うのです。
大層な事でなくてもOK。
「人生を変える」と言うと仰々しく聞こえるし、大きな事をしなければならない様にも思える。
でも、「変化を実現する」ことが出来るなら小さな事からでも良いと思うのさ。
例えば1日10分自己分析をしたとする。
- 自分の境遇や性格。
- 何が好きで、どんな事がしたいのか。
- 何が嫌いで、どんな事に耐えられないのか。
- 価値観や人格はどうか。
とかね。
1日10分でも一月続けたら300分。
5時間にもなるんだよね。
自分と向き合う為だけに5時間も掛けた事ってありますか?
ぐるぐると悩むのではなく、明確な自分の意思の下に。
私の場合にはよく当てはまったのだけれど、しんどい状態が慢性化してくると「何かにプレッシャーを感じている」のが当たり前の状態になる。
にも関わらず「何に自分が追い詰められているのか」や「何を解決していけば楽になれるのか」という「対処すべき対象」がわからない、という状態になる。
そんな時には自分と向き合って、自分の性質を理解する事で先に進めるんだと思う。
1日10分で良いから自分の直近の問題から解きほぐしていけば、かなり生活って変えられると思うんです。
おしまい。
ちなみにリアルで友達が少ないのでTwitterを始めてみたりもした。
やってることはアカウントでやる事を決めて、それにそってツイートする。
あとは関心のあるものは積極的にいいねをする。
これだけ。
でも、自分の存在を知ってもらえて。
絡んでもらえる人が増えて。
多少なり自分の情報発信チャンネルとして機能してきた感じはあります。
ブログやTwitterが日常の支えになっていたりもするので結構すごいなー、と感じたりもしています。
【令和】モーレツ社員と令和の時代。
昔、上司から言われたこと言葉がありまして。
「僕らの仕事はお客様が最優先。何があろうが自分の事情は関係ない。お客様に尽くすことが我々の存在意義であって、ひいては自分の存在価値になる」
という旨の言葉。
他人の事情や価値観を否定はしないのだけれど、個人的な意見を述べるのであれば「令和の時代においては危険な思考」と思うので記事にしてみるよ。
会社のために生きていますか?
前述の言葉を残した上司はいわゆる「モーレツ社員」というやつだった。
家庭よりも仕事。
「残業代を申請した事がない」とか「給料の出ない休日出勤をずっとしている」という事を胸を張って言うタイプの人間だった。
確かに、その上司は超スピード出世だったし、仕事も出来た。
おそらくは「自分は短期間で上り詰め、成果もたくさん出している」という自己肯定感の下に「モーレツな働き方」を承認していたのだと思う。
まさしく「会社のために生きている」タイプの人間だった。
でも、個人的に「会社のためにモーレツに生きる生き方」とやらは人によってメリットデメリットが大きく異なると思う。
少なくとも「誰かに強いる生き方」ではないのだとも感じた。
事実として、そんなモーレツな働き方を承認する会社には過去に労基も入ったし「やり方に着いて行けない」と退職する社員が続出した「その後」もあったりした。
「誰のために」を履き違えると搾取になる。
仕事を去って行った人を見ると必ずしも「仕事が出来ない人」という訳でもなかった。
きちんと業務上の戦力にもなっていたし、会社の期待に対して十分だったかは知らないけれど成果も出していた。
ただ、家庭環境は労働状況のせいで悪化したし、自分の体調や精神面を保つ事も出来ていなかった。
「いつか」訪れる見返りを享受する前に仕事を辞めざるを得なくなってしまったのだ。
確かに競合他社がいて現場でも鍔迫り合いが続く仕事では「お客様第一」が武器になる。
しかし、お客様第一は会社の都合であって自分の事を蔑ろにすると「今、この時」を後の資産にならない業務に奪われて貴重な人生を浪費してしまう様にも感じた。
「自分は耐え抜けるし、後で元が取れる」という自信がない人にはモーレツな働き方は「今という人生の時間」を搾取されてしまうだけの働き方なんだと私は思う。
そして、令和の時代は変化の時代。
自社だけでなく他社も変化する時代。
だからこそ「とりあえず、会社やお客様のために働く」という選択は自分の人生を搾取されかねない選択になるんだとも思う。
自分のために何をすべき?
転職経験者としては「仕事で市場価値が上げる」という論法を否定は出来ない。
一社めで頑張ったから今があるし、次の仕事も選考に残れている。
でも、役に立つ経験と同じくらい「役に立たない事」もあるんだよね。
例えば一過性のトラブルや対応に身も心もすり減らした時間とか。
再現性はないし、その経験自体は大した役に立つものでもない。
「お客様ファーストの仕事」では結構「自分にとっては時間の浪費」にしかならない仕事が発生する。
トラブルをうまく捌けるようになるより、業績を作り出す事で実績を残す方が余程自分のキャリアにはメリットになる。
仕事によって業務は全く違う。
だからこそ「会社のために働く事が自分の市場価値にプラスになる」というのがキツい働き方でも報われるための条件だと私は思うんだ。
例えば、今会社を出たとして。
例えば、今すぐに会社から外に出たとして。
「私はこの力で生きていける。次の仕事も取りにいける」と胸を張って言える人はどれくらいいるだろう?
自慢じゃないけど、私は社内表彰もかなり取ったし全国上位の実績も出した。
でも「これが私の武器です」と言えるものって積み重ねた時間に対してごく僅かだったんだ。
何故なら「外で使えない、その場だけの対応」にかなりの時間を使ってしまったから。
同じ時間で強みだけに注力していたらすごく強い武器になっていたはず、とも感じる。
「今、会社から外に出たらアピールポイントになる能力があるのか?」
という問いは「仕事をどれくらい漫然にやっているか?」という問いにもなる。
価値のない仕事に人生を捧げていたりしませんか?
逃げではなく、選び取ろう。
そんなこんなで現代日本でモーレツ社員をやるには「強かに自分のメリットのため」に働かなければいけないのだと思う。
漫然にモーレツに働くとどんどん搾取されかねないから。
だから積み重ねていくものも考えながら仕事をしていくのが「社畜」にならず「モーレツ社員」でいるための条件なんだろうな、と私は思うんだ。
得意なものを活かすための仕事選びは逃げではなく選択。
嫌なもの、苦手なものを克服するより戦略のもとに環境を選ぶ必要があるんじゃないかな、と思うんです。
現代社会においては。
あなたはどうでしょう?
この記事をここまで読んでくれたあなたはどんな働き方をしていますか?
一度、振り返ってみてもいいかもしれないよ?
【捉え方】「人生で大きな失敗はありますか?」「特にありません」
就活や転職面接では失敗や挫折の経験を当たり前の様に聞かれる。
お決まりの答えとしていくつか回答は持っているのだけれど本心を言えば「特にありません」と答えたい。
今回はそんな「失敗」や「挫折」の捉え方についてのお話。
「失敗」や「挫折」ってなんだろう?
どちらも「当初の目的が達成出来なかった事」という意味を含む言葉なので、そのまま捉えるのなら私も数え切れないくらいの失敗を重ねて来た。
そもそもこのブログのタイトルなんて「田舎移住に失敗しまして」である。
学校でも、仕事でも、プライベートでも。
そのタイミングだけを切り取れば失敗まみれの人生です。
お金だって逸失利益を含めれば数百万円は失っている。
でも「人生に対して」と考えるなら特に失敗したとも考えてないんだよね。
理由は単純で「選んで来てたどり着いたのが今」という感覚が強いから。
例えば田舎に来ていなければ引っ越し費用も使わなかったし、昇格直後で上がった給料を貰い続ければ今よりも高い収入があったはず。
でも、自分自身が興味があって、惹かれた生き方を選んだ感覚があるから特に後悔もしていない。
数十万円の勉強代で閉塞感に満ちた生き方以外にも道がある事がわかったのなら安いものだとさえ思う。
仕事では「仮説提案」に強みを感じていて相手と話さえできれば商談はどうにでも取れるとも思っている。
でも私のやっている「仮説提案」って言い方を変えれば当て馬をぶつけて断られてから深掘りしていくスタイルなので、ある意味では作った「仮説提案」自体は失敗する事を前提にしているんだよね。
要は失敗の使い方の問題で、失敗したところでやめずに。
乗り越える必要さえもなく「失敗した事で生まれた状況を上手く使う」事で最終的には前に進める、というのが私の価値観なんですよ。
成功に囚われるとしんどくなる。
逆に「成功に固執する」としんどくなる、というのも私の持論。
失敗が許されないのなら何も出来ないし、何も出来ないなら現状から良くなる事も何もないのさ。
変わらないんだもん。
むしろ、自分が変わらない事で周囲の事情の変化において行かれるからどんどん状況は悪くなる。
個人的にはリスクを考えても行動する価値があるならどんどんやればいいと思うんだ。
田舎移住に失敗しまして。
関連として田舎移住をして。
また、田舎移住に失敗して学んだことは以下の事。
- 人生のしんどさは住む場所よりも生き方によって生じる。
- 失敗を乗り越える必要さえ無くて、失敗した後の状況にも使い道がある。
- 「実現不可能」な理想を追うよりも「現状から何ができるか」を考えた方が良い。
- 行動するためのリソースやエネルギーには限度があるので、根性論は続かない。
- 目標達成を目指す時は目標からの逆算を気にし過ぎると現状無視の非現実的な計画になる。
- お金を稼ぐにはサラリーマン以外の方法もある。
などなど。
大手企業で「会社の枠で働いていれば安泰」→「会社の意向に反してはいけない」と硬直的に考えていた頃と比べると随分、楽な生き方になったとは思ってます。
しんどさを軽くするのに大切な事。
田舎暮らしで学んだ一番大切な事は「失敗の使い方を身につけよう」という事だな、と思います。
今はブログやTwitterでネタに出来る様になってすごく救われた気がしてます。
「田舎移住に失敗した事」は私のある意味でブランドみたいなものになってるんだよね。
「自分の失敗を使う方法がある」というだけで本当に気が楽になるんだ。
というわけで。
今後も局所的にはしこたま失敗をして、それをネタに生きていこうと思うんだ。
これからもブログやTwitterでどんどんネタにしていこうと思うのでよろしくお願いします!
【セルフツッコミ】田舎暮らしブログは何処へいった……?
このブログのタイトルは「田舎移住に失敗しまして」である。
そして数少ない検索流入のほとんどが「田舎移住」に関するものとなっている。
にも拘らず……。
過去の記事を見ていただければお分かりだろうが、田舎関連の記事が少ないのだ。
今回の記事は言い訳と開き直りのために書かれたものである。
ぶっちゃけ、田舎関連記事だけって難しい。
難しい、というのは主にモチベーションの面でと捉えていただきたい。
まあ、ぶっちゃけると田舎関連記事だけを書くのって興が乗らないのですよ。
田舎関連記事「だけ」だとね。
だからモチベーションを保てるラインで書いてると今の様な事になるのです。
田舎暮らしの記事を書こうと思うと、せっかくだから地元密着の記事を書きたくなるのだけれど。
あんまり密着し過ぎると住んでるエリアがわかっちゃうとかビビってたりもするし。
楽しく記事を書ききれないんだよね。
遠出してエリアを散らせば良いのだけれど、最近は2歳の娘が風邪を引いちゃうので控え気味だったりもするし。
そもそも限界集落で自給自足をする訳でもなく、田舎に住んでフツーにサラリーマンやってるのでインパクトがそんなにない。
「景色綺麗だなー」とか「風呂上がりに外出るとめちゃくちゃ寒いけど少し気持ちいい」とか、連投するにはちとキツいのです。
そうだ、仕事のせいにしよう。
あとは現職が早く帰れるけど言ってくる事が割とブラックなので、少しメンタルもやられてた感じだろうか。
転職活動もしてたし田舎暮らしを楽しむ余裕がなくなってだかなーって思うんだ。
その辺も一因だと思う。
とは言いつつも。
たぶん、このブログが期待されてるのって「田舎暮らしの情報」なんだろうなー、とは感じてます。
まあ、中途半端な田舎移住の一例として。
または「都会、田舎、都会のUターン例」として見てもらえる様には書いていけたらなーって思います。
そんな感じで中身のない記事でしたが気にせずアップしときます。
【生き方】老後2000万円問題と働き方改革の必要性について。
老後2000万円問題というのが少し前に取り立たされましたけれど。
千葉銀さんの記事をリンクで貼らせて頂きますね。
本当に足りない?老後2000万円問題の真相と今からできる資産形成
ざっくり言えば老後の生活費で2000万円が「不足する」という問題。
一定条件を前提に「あるであろうお金」に加えて2000万円足りない、というお話。
定年後に毎月6万円程度不足するのだけれど死ぬまでに積み重なると2000万円程度になるって話だよね。
この話題について私が感じたことは「働き方を変えないといけないよね」という事です。
では、書いていきますよー。
「定年」したら価値を失う仕事ってどうなの?
現役世代の人って「自分のキャリア」を気にするよね。
どんなポジションについて。
どんな仕事をして。
どれだけの市場価値があって。
とかさ。
かたや世間を見れば引退世代でシルバー人材センターに登録して軽作業や単純作業をする人も沢山いる。
非難するつもりは毛頭ないのだけれど、ある意味では定年を機に何十年も重ねたキャリアがリセットされている層が結構な数いるともとれる。
何十年も苦労して、努力して積み上げたキャリアを定年後に生かせない。
毎月6万円を稼ぐ事にも難義する。
これってすごく勿体ない事だと思うんです。
原因は何処にあるか?
定年で積み重ねたキャリアがリセットされる原因は「労働の資産化」が出来ていないからじゃないかと思うんです。
金持ち父さん貧乏父さん的な言い回しにはなりますが。
会社に勤め上げて「仕事」はしてきたけれど「ビジネス」をしてこなかったから。
経験を積み上げて「ポケットにお金が入る働き方をしなかった」から、定年でキャリアがリセットされてしまうのだと思うんです。
仮に積み上げてきた労働や経験をアウトプットしてお金に変える事を考えて働いていたら。
積み重ねたキャリアはお金をもたらす「資産」になってくれるはず。
高度経済成長期からの最大の利点は「会社が稼いでくれる」事だったのではないかと感じます。
会社の枠で努力して仕事をすれば儲けた会社が利益を給料という形で分配してくれる。
だから「働く」=「収入」に結びついたし、シンプルに会社で仕事を頑張れば良い仕組みが出来上がっていたんだと思います。
現役世代に必要な考え方。
「令和は副業の年代」とも言いますが。
別に会社で働いても良いのだけれど「会社」という枠を失っても自分のキャリアが価値を失わない様な生き方を意識する必要があるんじゃないかな、と私は思います。
ある意味で「働き方改革」だよね。
自分の働き方を変えていかないといけない。
老後に保証のある世代でもないので会社の「仕事」を失っても自分に買い手がつく生き方が必要なんだと思います。
長く勤めるにしても早期退職やストレス退職もあり得る時代だから「今の会社以外に生活を保つための収入源を持てる」働き方が必要なんだと。
改めてお聞きします。
皆さんの働き方はいかがでしょう?
今の会社の存在が前提になってはいませんか?
キャリア形成にならない業務処理に時間を浪費していませんか?
私は今までたくさん浪費してきました。
ただ、幸いな事に転職市場で評価してもらえるような「実績」も得る事が出来ました。
会社に勤める以上は100%自分のキャリアのために生きる事は難しいはずです。
ただ、後に「自分の資産になってくれる労働」の比率を増やす事は出来るはずです。
自分の転職を機に「キャリア」について考えてみましたが、誰かの考え方の足しにでもなればいいなー、と思います。
【秋の日本海】寺泊 魚の市場通り(魚のアメ横)で食べ歩きをしてきたよー。
新潟に来て寒くなって来たらやりたい事があったんだ……。
「寒空の下であつあつのカニ汁を食べる」
観光情報を調べて前から目をつけていたのだけれど、気温も下がって来たので行ってきましたよー。
場所とか。
寺泊魚の市場通り(魚のアメ横)|新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ
駐車場が800台あるらしいので車で行ってもだいじょーぶ。
というより車以外だと何でいけば良いのだろうか?
食べ歩き開始!
目的地に到着。
海からの風が適度に冷たくて良い感じ。
空も綺麗に晴れました。
とりあえず御目当ての食べ歩きを開始!
「浜焼き」って言うんだけれど、串に魚貝を刺して焼いたものを売ってるよ。
今回は嫁がイカ。
私がホタテ。
娘ちゃんがノドグロ揚げ。
で食べ歩き。
焼いた状態で売られているのだけれど買った時に直火で温めてもらえるから暖かい状態で食べられるよ。
ノドグロ揚げは写真を撮ろうとしたら娘ちゃんがフライングでかぶりついたので齧った痕がついてます笑。
とりあえず散策。
せっかく来たので散策。
市場の中はこんな感じ。
蟹も山盛り。
牡蠣。
蒸し牡蠣の他に焼き牡蠣や、甲羅焼きもあったよ。
画像は無いけどお土産にお刺身買いました。
クーラーボックスとか持って来て買い込んでる人も結構いました。
そして本題。
そして今回の目的。
「寒空の下で蟹汁」
はい、ドーン!
100円の蟹汁と200円で蟹の他にもアラの入った「番屋汁」なるものがあったので、今回は番屋汁にしてみたよ。
よそってもらうとこんな感じ。
冷たい空気に立ちのぼる湯気。
いくつもの魚貝から出た出汁の色。
軽く混ぜると漂うアラ。
口をつけると期待通りのあつあつ。
やっぱり、寒空の下で食べるのが正解のやつ!
お出汁がたくさん出ているので美味しいのだけれどロケーションのおかげで2割増くらい美味しかったと思う。
たぶん真冬に飲んだらもっと美味しいんじゃなかろうか……。
と言うわけで、今回のお出かけの目的たっせーい!
おまけ
帰りに近くの砂浜に行きまして。
流木とかがすごい。
空が澄んでいたので、しばしぼーっとしてから帰りました。
こういう景色も田舎ならではだよね。
というわけでレポ的なやつでしたー。
【転職の武器】80%以上の確率で面接を通過するストーリーテリング
転職活動で内定を頂きまして。
最後まで受けた戦歴では過去6社中5社で内定までいけてます。
個人面接に限れば通過率は100%です。
今回は私が転職活動で特に気にしてきた「ストーリーテリング」の技術についてお話しするよー。
ストーリーテリングって何?
一言で言えば「ストーリーを使って伝えたいことの印象づけをする技術」の事だよ。
転職で言えば職務経歴書から志望動機まで幅広く使えるんだけど。
「どんな経緯で、どんな事を考えて」という転職の理由や自己PRで特に使える技術だと思ってます。
例えば、現職で表彰歴があったとして。
商談数のランキングで入賞しました、と伝えるよりも。
部署では新規商談数が伸び悩んでおりベテランの中でも若手が目立てるチャンスと捉えて、新規発掘に注力しました。結果、今までは無かった客層からも商談を創り出し、商談数のランキングで上位に入賞して表彰を受けました。
と伝えた方が「コイツは積極性や自主性のある奴だな」と、印象に残るよね。
理由や動機付け、どんな思考で動いてきたか、を物語の様に伝えると面接官のウケが良いんじゃないかと経験から感じています。
同じ話でもPRポイントを変えられる。
そしてストーリーテリングを使うメリットで大きいのが「経験談の使い回しが出来る事」なんですよ。
よく募集要項に書いてある「求める人物像」は「信頼関係を構築出来るコミュニケーション」とか「自主性」「積極性」あたりだけれど、切り口を変えれば同じエピソードでいくらでも自己PRを作っていける。
私は法人営業をしているから、例もルートセールスによってしまいますが。
例えば「自主性」を重んずる求人には「何故、自分がその様に動いたのか」を切り口に物語を書けばいい。
「コミュニケーション」に重きを置く求人なら「達成に至る道筋で協力を得た相手の事とどうやって協力を得たか」を書けばいい。
各項目に対して個別のエピソードや実績を用意しなくても済むので一社あたりの面接対策でかなり負担を減らす事が出来る。
更に同じエピソードを色んな視点で話していくと、PRの練度が上がっていくので多少のツッコミには対応出来るようにもなる。
結果、面接での評価も上がりやすいと経験から私は考えるよ。
目立った実績が無くても使える。
私の場合は幸にしてコンスタントに表彰歴があったけれど、未経験職種や業界を受けるときには敢えて実績を使わずに話した事もある。
例えば日常的なクレーム対応でも「何故、先手を打って火消しが出来たか」とか「進め方の主導権は誰が持っていたか」とか。
「問題を解決するためにどんなマインドで誰の協力をどうやって得たのか」とか。
「協力を得るためにした事は何か」とか。
「問題解決後にどんな対応をして、どんな状況になったのか」とか。
「自主性」でも「コミュニケーション」でも「問題解決能力」でもなんでも良いのだけど。
要素ごとに経験を分解して、求人の「重視する人物像」に当てはめて組み立てていけば目立った実績がなくても割とどうとでもなるんですよね。
大切なのはある意味自信。
転職先の企業でPR出来そうな実績がないと少し弱気になる人もいるかとは思う。
けれど、社会人として生きてきたのなら少なからず「業務を回すだけの役割」を担ってきたはずなのさ。
それって自分が思っているよりもずっと大変な事なんですよね。
あなたの仕事を明日、バイトや新人に回して仕事は進みますか?
進まないよね。
きっと。
だから、実績のある無しで弱気にならなくていいし「自分は大変で重要な役割を担ってきた」と自信を持っていいんですよ。
社歴が多少でもあるなら、後は料理の仕方を考えるだけ。
というわけで。
今回は私が特に転職活動で気にしてきた「ストーリーテリング」の技術をお話ししてみました。
もし、使えそうだなと感じていただけるなら使ってくださいませ。
使うかどうかも読んでいただいたあなたの自由ですが、個人的にはオススメしますよー。